Boston Celticsの思い出

2001年3月に博士課程を修了した直後から2004年の夏まで米国BostonのHarvard Medical Schoolに留学していました。米国でのスポーツの人気はアメリカンフットボール・NFLが圧倒的1位で、かなりの差がついてバスケットボール・NBAと野球・MLBが続きます。Boston(近郊)にはそれぞれPatriotsとCeltics、Red Soxという強豪チームが存在するため、ボストンにいる間は地元の熱狂的なファンに交じって、よくスタジアムやバーでスポーツ観戦しました。

私のBostonでの最初の年はNew England Patriotsの絶対的エースQBだったDrew Bledsoeが怪我をしたために前年に入団して控えだったTom Bradyが出てきた年でした。ラボでも「Tom Bradyどうかねえ、ちょっとパスのレパートリーが少ないよねえ」なんて話をしていましたが、その年2001-2002年のシーズンは勢いに乗ってSuper Bowlを勝ち、その後、Bradyは活躍の説明を必要としないほどのスーパースターになってしまいました(信用していなくてゴメン、Brady)。この年に後にも先にも1回だけレギュラーシーズンのSt. Louis RamsとのNFLの試合をスタジアムまで観戦しに行ったのは良い思い出です。この試合には残念ながら負けてしまったのですが、日本人ポスドク友達とパーティーで大騒ぎしながら観戦していたSuper BowlでのRamsとの再戦での劇的な勝利(同点から残り時間7秒で48ヤードのFG!)の喜びを倍増させる、とても良い前振りになりました。

Bostonにいる間に一番観戦したのはバスケットボール・NBAです。Larry Birdを擁したBoston Celticsは80年代には常勝チームと言えるくらいの強豪でしたが、90年代には長い低迷が続いていました。ところが私がBostonに来た2001-2002年シーズンには久々にplayoffsに進出すると東カンファレンスファイナル(Finalの手前)まで進出する快進撃でした。2003-2004年シーズンには金曜日の試合中心のスモールサイズのシーズンチケット(10試合くらいのセット)を購入し、Fleet Center(今のTD Garden)に妻と一緒によく観戦に行きました。一番上の遠い席でも結構きちんと見えて、1試合10ドルくらいで観戦できたので、とてもお得だったと思います。その頃の中心選手はPaul Pierceで、うちにまだある子供用のジャージの背番号は34番です。いわゆる誰でも知っているスーパースターではありませんが、現地で何度も応援した選手っていうのはやっぱり特別です。NBAの思い出の選手は?って聞かれたらPaul Pierceだと死ぬまで答えるでしょう。2003-2004年シーズンは残念ながらplayoffsの1回戦でIndiana Pacersに負けてしまいましたが、まだ生まれて2か月の長男を連れて試合を見に行ったのは、これも良い思い出です(写真)。子供4人(全員男)のうち3人(長男以外!)はバスケットボールを部活やクラブでプレーしており、今でも家でNBAの試合を一緒に見ることがあります。今年のシーズン、Celticsは絶好調です!今(2024年5月28日)進行中Playoffsでは東カンファレンスファイナルの相手は奇しくもPacersで、今日も勝利してシリーズ4-0でスイープ!Final進出です!西の代表はおそらくDallas Mavericksでしょう。Paul PierceがFinal MVPを獲得した2007-2008年シーズン以来のFinal優勝を期待したいと思います。

投稿者プロフィール

伊藤 拓宏
伊藤 拓宏理化学研究所生命機能科学研究センター チームリーダー
立体構造から生命現象を解き明かします。