ゆとりを持つこと

この度、本研究領域の公募班に採択頂きました東京大学アイソトープ総合センターの小野口と申します。ノンコーディングRNA, MALAT1が形成する核内構造体と熱ストレス応答の関係について研究を行っております。6/26から東京大学の安田講堂で開催されている日本RNA学会に参加していましたが、そこでも様々なストレス応答、様々なノンドメイン分子にまつわる演題が発表されており、自分の研究を進める上でも色々な刺激を受けました。

学生の頃に「発表なしで学会に参加するのはたるんでいる」という初期教育を受けていた自分にとっては発表をせずに学会に参加するというのは初めての試みだったのですが、リラックスして全ての演題を聴講することができて、こういう機会もたまにはいいのかも?と思ったりもしました。

自分のスケジュールを調整するのが苦手で(ということを最近自覚して)、100のキャパシティしかないのに120くらい実験などの予定を詰めてしまう傾向にありました。今回の学会参加のような時間を取ることで心にゆとりができて、じっくりと研究に向き合えている自分を実感していかに「ゆとり」を持つことが重要かということを再認識しました。

ゆとり教育一期生なので何かにつけてネガティブな意味で「ゆとり」と言われてきたような気もします。実験をしている時間などは分かりやすく意味のある時間と捉えられますが、周りから見て一見意味のないように見える「ゆとり」の時間も同じくらい大事なのではないかと思います。ノンドメイン分子の研究で考えてみても、役割がはっきりと分かっている機能ドメインに加えて天然変性領域のように構造がきっちり決まっていない領域があることで、柔軟な制御が可能になっている例が数多く報告されているように思います。研究においても、それ以外のことにおいても一見意味のないようなことでも意味がないと決めつけるのではなく、深く考察していければいいなと思いました。

と言いつつ、また日常に戻れば「ゆとり」の大切さを忘れて、キャパシティを超える日々を過ごしてしまいそうな気もするのですが…。

研究室配属の前に「なぜ分子生物学で細胞の中のRNA分子やタンパク分子などの細かい研究をするのか」という質問をした時に「自然界はフラクタル構造を持っているから、細胞の中で起きている分子の役割を理解することで自然界を理解できるから」という回答をくださった先生がいました。タンパク質の天然変性領域の大切さと時間のゆとりの大切さがどこか共通しているように、ノンコーディングRNAのような一見よくわからない分子の研究を進める中でその言葉の意味を実感するような機会が増えたように思います。

散文になってしまいましたが、班員の皆さまとの議論を通じて、研究を発展させていければと思っております。どうぞよろしくお願いいたします!

参加したRNA学会の会場だった安田講堂の写真を撮ろうと思ったのですが、大雨のため断念しました.. 代わりに(?)直近で一番ゆとりを感じることができた景色の写真を載せてみました。

 

 

投稿者プロフィール

小野口玲菜東京大学 アイソトープ総合センター 特任助教