続・グレートアーキテクト

これまで両手に余る家々を引っ越してきましたが、その間、長らく開かれないまま各地を渡り歩いてきた箱がありました。最近の引越で偶然それを開けてみたところ、すっかり色褪せた茶封筒の中から懐かしい写真が現れました。それは、以前のブログ(https://ncrna.jp/blog/item/255-great-architect)に登場させた、トイレも風呂も2階にしかない一風変わった幼少期の自宅の写真でした。かれこれ50年ほど前の写真で、何かの建築雑誌に掲載されたと、設計者の父から聞かされたことがありました。

父についてはそのブログで少し書きました。若い頃は公営住宅の設計を担当し、コンペにも出品したこともあったそうです。書斎で図面を引いていた父の姿が幼少期の朧げな記憶として残っています。それはこの自宅の図面だったかもしれません。しかし、その後の記憶には建築家としての父の姿はありません。製図版や平行定規も書斎の奥にしまわれたままで、幼い私がそれを持ち出してチャンバラをしていても、父は何も言いませんでした。

国内外の面白い建築を訪ね歩くようにはなったものの、私は建築家にはなれませんでした。そんな私が、細胞内構造のアーキテクトとして働く不思議なRNAに出会ったのは運命的なものを感じます。そして、このRNAがいかなる美しい構造物を作り上げているかに迫ることが、課せられた使命かもしれないと、時折感傷的に考えたりしています。知る人ぞ知る私の講演スライドに、お気に入りのグレートアーキテクトの建築がしばしば登場するのもそのためです。アントニ・ガウディの「カサ・ミラ」、ザハ・ハディドの「ヘイダル・アリエフ・センター」、ピエト・ブロムの「キューブ・ハウス」、フランク・ロイド・ライトの「落水荘」、そして最近はもっぱらクリストファー・テイルガードの「ドロプレット・パビリオン」です。ドロプレット・パビリオンは、一面ガラス張りの美しい液滴形建造物で、その中で自適に楽しい時間を過ごすことができるようになっています。ポータブルで、容易に分解して好きなところに再構築できます。まるでRNAが織りなす非膜オルガネラの姿を想起させたのでした。そして、こんな私的なイメージの変遷を父に知らせたいと思いました。

数年前のよく晴れた秋の日、父は誤嚥が原因であっけなくこの世を去ってしまいました。危篤の知らせで駆けつけた時には、もはや意識はほとんどない状態でしたが、耳元で声をかけるとハラリと一筋の涙を流しました。それは、初めて見る父の涙で、この寡黙な人物に宿っていた深い愛情に最後に触れたような気がしました。そして、改めてあの自宅の写真を手に取ってみると、私がRNAに抱いているのととてもよく似た、若かりしアーキテクトの熱い挑戦心が伝わってきました。