第三節 生命論に魅せられた高校時代・分かったつもりにならない教え

慶應義塾大学再生医療リサーチセンター、岡野栄之教授についてより深く知って頂くために、彼のこれまでの研究人生(肖像)について、ドキュメンタリー形式のシリーズで綴らせて頂こうと思います。

第三節 生命論に魅せられた高校時代・分かったつもりにならない教え

「アインシュタインはこの自然界がどんなものかを解き明かしたんだ」

 中学校の理科部に早熟な同級生がいた。フィルムの現像など実技や実験の傍ら、相対性理論などの先端科学を議論した。岡野少年は大いに刺激を受け、ブルーバックスを読みふけ耽っては考えた。

「この世はどのようにできているのか? 生命とは何か?」

 生命論に魅せられたのは、生後すぐに父を胃がんで亡くしたせいもあった。家政学の教授であった母と二人暮らしの利発な岡野少年は、私立中学を受験して一貫校に合格したものの、その進路選びが安易に思えて公立中学に進んだ。その後、刺激を受けて受験したのが、慶應義塾志木高等学校である。そこには自由な校風があった。

「日本史の授業はいきなり明治維新から始まりました」

 数学では高校で通常教えない二重積分を教え、現代国語では1年間ずっと森鷗外と『舞姫』を徹底研究した。高校1年の生物の授業では、ハンス・シュペーマンのオーガナイザー実験を学んだ

「イモリの腹から脳や脊髄ができる!?」

 移植したイモリ胚が発生していく過程で異種の細胞同士が影響し合って、神経管や組織を誘導する発生学の神秘に魅せられた。生命の神秘を考えるため1冊の本を手にした。

「シュレーディンガーの『生命とは何か』です」

 量子力学を創造し、原子物理学の基礎を築いた物理学の巨人、エルヴィン・シュレーディンガーが「生命とは何か」というテーマで、1943年に行った講演の記録。高校生なりに巨人が語った生命現象と遺伝のしくみ、そして突然変異の話を読み込んだ。「突然変異種にはしばしば安定性の低いものがある」という「第五章」は、後年の岡野氏の発見に通じる。本に感化されて岡野氏は決心した。

「将来は物理に進もう!」

 ところが、うかつ迂闊にも当時の慶應義塾大学には物理学科がなかった。他大学受験も考えたが、慶應の学部説明会で耳寄りなことを聞いた。医学部には臨床だけでなく基礎研究に進む人もいるのだ。

「ひょっとしたらシュレーディンガーのようなことができるかもしれない」

 科学に導かれる源流には岡野氏の祖父の姿があった。祖父は天文学者であり、引力による海面の水位変化の潮汐研究で勲四等を受章している。幼い頃、祖父に「雷はどうして落ちるの?」と聞いたことがある。祖父は雲や水蒸気と電気の説明をしてくれた。岡野少年は「分かった」と答えた。すると祖父は烈火のごとく怒った。

「分かってもないのに、分かったつもりになるな!」

 怒鳴られて身をすくめた岡野少年は、生命の神秘をどこまでもさかのぼる研究者となっていく。

                          【ドクターズマガジン2021年8月号】より

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