第六節 カハールのドグマに挑む、神経幹細胞研究へかじ舵を切る

慶應義塾大学再生医療リサーチセンター、岡野栄之教授についてより深く知って頂くために、彼のこれまでの研究人生(肖像)について、ドキュメンタリー形式のシリーズで綴らせて頂こうと思います。

第六節 カハールのドグマに挑む、神経幹細胞研究へかじ舵を切る

 ここで脳神経の形成過程をおさらいしよう。ヒトの脳は神経細胞(ニューロン)とグリア細胞から成り立つ。受精3週目に神経板ができて大脳、視床、中脳、小脳などになる。第二段階で「対称型(一つの神経細胞が二つに分裂)」と「非対称型(一つが神経幹細胞、もう一つはニューロンなどへ分裂)」に分裂し、第三段階でグリア細胞が発生する。この流れは変えられないというのが〝カハールのドグマ〞である。

 いったん発育期が終わると、神経系の細胞の成長や再生の源泉は不可逆的に枯渇してしまう。

 1906年のノーベル生理学・医学賞を受賞した神経解剖学の巨星カハールが著書に残した言葉だ。一度損傷した中枢神経系は再生できない。ゆえに脊髄損傷者は歩けず、神経難病の多くが治癒しないとされた。だがカハールは著書の最後にこうも書いた。

 この冷酷な絶対真理をもし変えることができるとするならば、それは将来の科学である。

  岡野氏はこのドグマに立ち向かっていくことに決めた。まずMusashiの単離に成功した。

  「Musashiの機能とそのメカニズムが徐々に分かってきました」

 Musashiはニューロンの正常な発生・分化を促し、分化が完了すると停止する。つまり神経細胞の発生を知らせるマーカーであったのだ。その成果を1996年に『Developmental Biology』に発表すると、これは今日まで引用600回超の記念碑論文となった。

 「ここから神経幹細胞研究に大きく舵を切ることになりました」

 Musashi遺伝子が正常に働かなければニューロンもグリア細胞もできない。それをショウジョウバエだけでなく、マウス、ラット、ツメガエル、ゼブラフィッシュ、線虫、カナリアでも確認できた。Musashiは種を超えた神経発生と分化のカギを握る「普遍的な遺伝子」だったのだ。岡野氏のそれまでの10年の
研究が大きく実った結果である。

 「まさに生命の根っこを掴んだ!」

 その成果から「Musashiでヒトの神経がよみがえ 蘇るのではないか?」と考えたのは、岡野氏だけではなかった。

 

                          【ドクターズマガジン2021年8月号】より

                                    全文はこちらから

 

投稿者プロフィール

Satoru Morimoto
Satoru MorimotoProject Associate Professor
Satoru Morimoto, M.D., Ph.D. 
Keio University Regenerative Medicine Research Center (KRM)
Project associate professorResearch Gate Building TONOMACHI 2, 4B, 3-25-10, Tonomachi, Kawasaki-ku, Kawasaki-shi, Kanagawa,
210-0821, Japan