奇遇癖

西増さんのさきの投稿を見て、ああそうだよな、研究で大きな飛躍のきっかけになることってほんとは意外とありきたりのことなんだよな、と思った方は多いのではないでしょうか。分野にもよるかもしれませんが、ライフサイエンスでは天才的なひらめきや超人的な才能というのはそれほど必要とされていなくて、むしろ大事なのは、とにかく手を動かし続けることである、というのは多くの人が共感するところかと思います。そしてもう一つ大事なのが、その中で予期せぬ出会いを引き寄せる、いわば「奇遇癖」、かもしれません。

学生時代に、とんでもない奇遇癖を持った方がいました。当時彼女は京大の修士の学生さんだったのですが、夏休みにふと思い立ってみちのく一人旅をしていたところ、青森駅で、一回生の時に若気の至りで参加した劇団の共演者と、ばったり出会ったそうです。劇団は一回限りの講演ですぐ解散してしまったので、その後連絡を取ることもなく、なんか似た人がいるなあ、でもまさかこんなとこにいるはずはないしなあ、と首を傾げて眺めていたら、むこうもむこうで訝しげな顔をしているのでもしかして、と声をかけたら、まさにその人だったとか。思いもかけない場所で久闊を叙し、その後はどちらが言い出すわけでもなく一緒に旅をすることになり、、、という展開にはならなかったそうですが、学会でもないのに、京都から遥か離れた青森駅前で遭遇するというのは、なんという偶然でしょう。

またあるとき彼女は新幹線に乗っていて、ふと後ろを見ると、どこかで見た顔が。スーツを着ているけれどもどこかしっくり来ないその彼は、なんと例の劇団の座長だったとか。まるで劇団を上げて彼女につきまとまっているみたいですが、もちろんそんなことはなく、彼は彼で友人の結婚式に行くために慣れないスーツを着て久しぶりに新幹線に乗っただけ、ということだったようです。当時もまだ大学院生だったようですが、そもそも大学院生は新幹線にそう乗るものでもありませんし、乗ったとしても一日に何本の新幹線が走っているのか。よしんば同じ新幹線だったとしても車両まで同じというのはどういう偶然か。まさに奇遇癖です。

奇遇癖の彼女はその後も様々な出会いを重ね、すくすく50歳まで育ってしまったらしいですが、そのくだりはこちらの素敵なエッセーに書かれています。最初の段落からぐっと引き込まれてしまう名エッセーですが、キャリアデザインだなんだと先を見据えたつもりでなにかをしてもなかなかそうはならないものだし、今は知らない新しい出会いが研究人生を彩っていくというところに、大きな共感を感じます。それが研究。それが人生。